2015.7.3

ウクピクの原点だったコハラ・スラックキー&ウクレレ・フェスティバル〈その2〉

FH010025そもそも、ウクレレに出会って間もないおもさんが、ハワイ島までスラックキー&ウクレレ・フェスティバルを見に行くことになったのは、当時おもさんがマネージメントしていたウクレレ・プレイヤーのIWAOさんが、ハワイのウクレレ関係者(ウクレレの神様・オータサンのマネージャーのミチコさん)から「コハラにフェスティバルを見に来ない?」と誘われたからでした。 「IWAOくんには優れた名言がいくつかあって、そのひとつが『誘われた旅は断らない』。以前にそれで彼はブータンにまで行っている。彼はとってもポジティブな人で、そのへんはぼくもすごく影響されたなあ」

ちなみにIWAOさんは、ギタリストとして活躍していたおもさんに、ウクレレをポロンと聴かせて魅了し、ウクレレの世界に引き入れた人でもあります。

そんなわけでおもさんとIWAOさんは一路ハワイ島へ。当時はハワイ島へのJAL直行便があり(残念ながら2010年に終了しましたが)、成田空港からハワイ島コナ空港へ一直線だったのです。そしてコナ空港はバンガローの並ぶのどかな空港ですが、当時はタラップを降りてテント張りの税関を通り、荷物を受け取ればすぐ、外。おまけに税関を出るとハワイの太ったおばちゃんたちのウクレレ演奏に歓迎されて、すっかりローカルな気分に。

とにもかくにも2人はフェスティバルを目指して初めてのハワイに、しかも観光客の多いホノルルではなく、ハワイ島、別名「ビッグ・アイランド」に足を踏み入れたのです。(つづく)