2015.6.1

ウクピクの原点だったコハラ・スラックキー&ウクレレ・フェスティバル〈その1〉

国内最大のウクレレ・イベント、ウクレレピクニックは毎年夏に横浜・赤レンガ倉庫で開催されますが(2015年は8月1日〜2日)、このビッグ・イベントが毎年行われるようになったきっかけは、1990年代末にハワイ島北端のコハラ地方で開催されていたスラックキー&ウクレレ・フェスティバルです。
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当時このフェスティバルを日本から見に行ったのが、トイズミュージックスクール主宰おもさんこと、おもたにせいじ。そしてシンガー・ソングライター&ウクレレ・プレイヤーのIWAOさん、サザンオールスターズの関口和之さん、後にウクレレピクニックを主催することになるデビット・スミスさんでした。

ハワイのフェスティバルというと、観客が芝生に寝そべったり座ったりとのんびりし、テント出店しているハワイアン・フードを食べながら観戦するもの。見るほうもやるほうもリラックスして本当に楽しそう。この音楽がコミュニケーションのツールとして歴然と存在するフェスティバルに、日本からやってきた面々はすっかり魅了されてしまったのです。おもさんは当時を振り返ります。

「お客さんは出演者を熱心に応援してくれて、もし下手くそだったとしてもエールが飛び交う。ぼくらは高校時代から人前で演奏してきたけれど『下手くそ、引っ込め』とは言われても『頑張れ』なんて言われたことは一度もない。日本なら、ステージに立つ者は上手くないといけない。言うならば“努力型”のエンターテインメント。でもハワイのフェスティバルは誰でもステージに立てるし、聴きたい人が聴く。見るほうもやるほうも同等の立場だったんです」

PICT0042このとき「こんなイベントが日本でもできるといいね」とみんなで話し、それがデビットさんの手により実現したのが、2000年の第1回ウクレレピクニックin逗子マリーナなのです!(つづく)